日本語教師が〇〇を学ぶこと

みなさま、ご訪問いただきありがとうございます。

磯野カツオと巴御前と静かなるドンという個性的メンバーと、

名前の由来が日に日に増える、でおなじみ?の

「日本語教師こんぶの会」です😅


今回はTwitterで少し前に(だけでなく繰り返し)行われていた

「日本語教師は外国語をなんたらかんたら議論」

これについてこんぶの会の3人の中の1人(カツオ)が

独断と偏見で徒然なるままに書いてみようと思います。


もちろんブログ執筆者もご多分に漏れず

「日本語教えてるんなら外国語ペラペラなんですね~」

ビームを浴びたことは幾度となくあります(笑)

しかも学習者さんからもしばしばです💦

もはや訂正するのもアレなので

カサカサのうすら笑いで乗り切ることにしています🤣


他の立派な先生方の重複(2番煎じ)になりますが

ブログ執筆者は以下のように考えています。


1)外国語ができなくても、「もちろん」日本語教師になれる

2)外国語力は必須ではないが、あって損をすることは少ない

3)外国語「力」より、役に立つのはそれを身につけた「過程」


この3つなのかなと思っています。


1)については耳にタコかもしれませんが、

日本国内の日本語学校では基本、授業は日本語だけで

行われるし、1つの教室に複数の国籍の学生さんが

混在するので、学生さんの国籍の数だけ言語を知ってなきゃ

いけないとなると、翻訳コンニャク聖徳太子仕様が

必要になってしまいます。


ですから外国語力がなくても日本語教師になれます。


ただ、

2)に書いたように有益だったことはあっても

損したことはあまりないなと体験的に思っています。


ブログ執筆者は拙いながらも一応外国語力があります。

その言語話者のみのクラスの時などは素知らぬふりで

クラスメートの何気ないおしゃべりが

学習項目にかかわることなのか、たんなる私語か、

あるいは授業の不満かというのがわかるので

理解度や集中度などを把握することができたりします。


また、その言語話者からの親近感を得ることもしばしばあります。

これは多国籍混在クラスでは「あの先生、○○語が話せるからって

そっちの学生ばっかりひいきしてる😤」という

危険要素(一歩間違えると😱)ともなり得るので注意は必要ですが、

ラポール形成に役立つことの方が多いです。


でも一番思うのは3)についてです。

『外国語「力」よりも役に立つのはそれを身につけた「過程」』

こちらのほうが日本語教師という仕事に役に立っているなと

体感しています。

これまた他の立派な先生がたのご意見と重なると思うのですが、

外国語に限らず「何かができない状態」から「学習して」

「できるようになる」ことを身をもって経験した人は

その過程で訪れる焦燥感や挫折、もどかしさを知っています。

そしてそれらを乗り越えた後に見える景色も知っているので、

学習者目線になりやすい(想像しやすい)と思うからです。


必ずしも全員がそうとは言えませんが、

教師が外国語(またはそれ以外)を学んだことがあると

「できないかぁ、悔しいよね。わかるわかる私もそうだった」

となることが多いのではないかと思うのです。

“またはそれ以外”としたのは例えば自転車の練習とか

楽器の演奏、スポーツ、料理 なんでもいいと思うからです。


そしてその過程がスイスイできた人より

失敗してつまづいて悩んで落ち込んだ人の方が

のびしろ多目の方に対して「なんでできないんだろ?」

とならず、「わかるわかる」と寄り添えるのではないかと

こう思うのです。


あとはチョー個人的な見解から申し上げると

「学ぶこと、わかるようになることはシンプルに楽しい


そして

「転がる石には苔が生えぬ」(アメリカ派)なので

自分が学習者として学びをサポートしてもらうなら

学びを自ら体験しつつ実践につなげている人の方が魅力的だと

感じるのです。なのでそうありたいと。


異論反論共感その他いろいろ思われるところ

あるかもしれませんがあくまで個人の意見なので、

「あっそ」くらいに読み流していただければ

ありがたいです😅


ちなみにワタクシゴトではありますが、本日Duolingoで

めでたく111日達成したので喜んでいます🙌



最後までお読みいただきありがとうございます。

次回はだれ?いつ? 乞うご期待です✨


日本語教師こんぶの会

教師としての成長を目指す日本語教師のグループです。

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